先日のアンサンブル講座+の内容を反芻する日々。
ヴァイオリンの山田百子先生の問いかけは、こちらの視点を変えるきっかけを下さる。
「答え」そのものは出さないけれど、そこから何かが変わる すごい問いかけ。
…但しすぐにわかる、できる わけけではない。
あぁ、わからない…という感覚が面白くもあり辛くもあり。
池浦先生はそうしたヒントを音にするための“奏法” “音楽の文法”をロジカルに説明してくださる。
西洋で生まれた芸術・哲学などはどの分野であれ確固たる「論理」に基づいている。
それだからクラシック音楽は世界に広がり、世界中様々な国から偉大な音楽家が育つのかな?
これは文化の優劣を言っているのではなく性質の違いであり、かつ勝手な私の推論。
和声、形式、楽器の構造、場面に適した奏法、これら土台がないと独りよがりで感傷的な演奏にしかならない。
ただ、桁外れの情熱とか努力とか、感傷的なモードというのはまわりに伝播しやすいので(ヒトは共感できる生き物だから)そういう演奏に感動するのもよく分かる。
奏法を知ることも、論理を知ることも真に自由になるための手段であり、車の両輪だと改めておもう。
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