· 

恩師のこと

 

今日は大学時代の恩師のご命日。

 

昨年、松の内も過ぎたころにご家族のお名前で寒中お見舞いのはがきをいただき入院中であることを知った。それから程なくして届いた訃報だった。お見舞いのお手紙を送ろうか、と考えているうちに。

 

私が師事していたころから複数の病、手の故障と闘っていたにもかかわらず、精神の強さが人並外れていてその精神力で命をつないでいるのではないかと思われるほど。だからと言って学生に対して居丈高になることもなく、レッスンではひとりの音楽仲間として扱ってくれていたように思う。

 

学生時代のレッスンで「あなたがやりたいようにやってみて。はみ出したところを削っていくことはできるけど小さなものにつけ足していくのは難しいんだよ」

と、おっしゃる事が何度かあったのだが、当時の私は、その“やりたいこと”が自分でもよくわからないし、やりたい気持ちがあってもそれを音にする方法がわからない…こんな状態だった。

 

その後、テクニックや音楽的な語法のセオリーを学んでいって、今の自分なら先生と創造的なレッスンができるかもしれない、と思う一方、何もわからない状態であのような言葉をいただいたから、その後自分の音楽を探そう、と思い続けられたのかもしれない。

 

様々な困難のなかで先生は何度かのリサイタルを開催し、それはもう先生の生きざまと同じく生と死のはざまを行き来するような美しさと儚さに満ちた演奏だった。

健康なら、手が思い通りに動くなら先生はもっともっと演奏活動にエネルギーを注ぎたいと思っていたに違いない、と私は長く思っていたのだけれど、お通夜の席でのご親友の方のお話によると、大学院を修了するころに「僕は演奏家として生きることより、後進を育てていきたい。指導者として大学に残りたい」というようなことをおっしゃっていたそうで、私の想像は全く外れていた。

 

最愛の奥様を亡くされた後、生きていくこともつらい日々を丸ごと受け止めて、先生はコロナ禍にご自分の人生の軌跡を一冊の本にまとめられた。いただいたご本の表紙の色、紙の質感、写真、すべて先生の美意識そのもの…なんて美しい本だろう、と折に触れて手に取りうっとり眺める。

 

困難な人生に敢えて立ち向かっているように見える底知れぬ精神の強さと、嘘のないものを心から愛する優しいまなざしと、天性の芸術家としての(ご長男さまがおっしゃるところの!)美へ強烈なこだわりと、でもどこか突き放したような飄々とした話しぶりを思い出す。